『ワールドダイスター』の鳳ここなと静香の関係性に関する浅い考察

『ワールドダイスター』をニコニコで見ていたんだけれど、個人的にスポ根と可愛い女の子が好きなので、ハマってしまった。純粋に、主人公が成り上がるのかと思いきや、主人公・鳳ここなのセンス(特殊能力的なもの)が、かなり変わっていたので、その関係性に多くの人が興味を持ったと思う。実際に、静香は、もう死んでいるみたいな予想をしている人もいたくらいだった。自分も例外では無く、興味を持ったので、少し書きたいと思う。

 

(注意)ニコニコで見ているため、11話までしか見ていません。

    ネタバレもあります。

 

 

 

静香は本当にイマジナリーフレンドなのか?

かなりの人が、静香は、鳳ここなのイマジナリーフレンドだという意見が多いように感じた。確かに、静香は、ここなの想像上の存在ではあるが、友達と言った方が正しいのかは、疑問に思った。

実際に、11話を見てもわかるように、最初は、演劇の練習をしていた場所だけに現れていた。そうであるならば、友達というよりも、自分の演劇を客観視するもう一人の自分と言った方が正しいような気がする。本当は、ここなは、正解の演技を知っているからこそ、3話のかぐや姫のアドリブも上手く行ったと思う。

つまり、ここなは、主体性が無く、「こうしたら?」という友達が、勝手に決めてくれないと演技できないのだ。だから、新妻八恵の演技を真似したんだと思う。

ということは、演技の相談をできる相手や、確固たる自分を持つことができるようになったら、おそらく、静香は、消えるということになると思う。

でも、11話を見ていると、消えた理由は、静香が持つ舞台に出たいという感情をここなに教えるためなので、多分、戻ってくると思う。

 

 

EDの『トゥ・オブ・アス』から考察する二人の関係性

EDの『トゥ・オブ・アス』は、メチャクチャいい曲なんだが、それは置いておいて、特徴的な歌詞がある。それは、サビの「月と太陽」である。

これは、おそらく「太陽=ここな」「月=静香」だと思う。

よくよく考えると、アニメの最初の頃、ここなは、静香と会ったのは、オーディションに落ちて、落ち込んだ時だと思っていた。これは、ここな(太陽)(の気分が)沈んだ時に、静香(月)が現れるという構図になっており、完全に合っていると思う。

その他にも、ここな(太陽)があるから、静香(月)が輝いて、他人に存在を認識してもらえる、といった様な構図が成り立つ。

そう考えると、静香が消えたままか戻ってくるか論争には、答えが出せなそうである。

「太陽(ここな)が昇れば、月(静香)は見えなくなる」という解釈もできれば、「太陽(ここな)が輝くほど、月(静香)も輝く」という解釈もできるので、何とも言えない。

 

 

 

 

以上のように、鳳ここなと静香の関係性について考察したが、結局、静香が消えたままなのかすら分からなかった。とりあえず、最終話も楽しみに待つしかなさそう。

 

拙文最後までお読みいただきありがとうございました。

『お兄ちゃんはおしまい!』から学ぶ、”兄の育て方”と”弱者男性に対するケアの手段”

元々、自分は、あまりアニメを見てこなかった人間だけれど、見るようにした方がいいと思って、見始めたアニメの1つが、『お兄ちゃんはおしまい!』だった。

ところが、見ているうちに、自分に重なるところがあり、タイトルの内容について書きたいと思った。本編のストーリーについて、具体的には、あまり触れる気は無いので、ネタバレは、あまり無いと思う。

 

(注意)あまり明るい話題では無いかもしれないです。あと、自分は、何の専門家でもないので、ここに書いてある内容が学術的に正しいかどうかは、調べてすらないです。許してください。

 

1.あらすじ

流石に、何も説明しないのもアレなので、短く説明しておく。

 

引きこもりニートの兄・緒方まひろは、天才の妹・緒方みはりに性別が変わる薬を盛られ、兄だった緒方まひろは、妹として生活していくことになる。

 

あらすじは、以上。興味を持ったら、アニメか漫画を直接見ることをお勧めする。

 

2.このアニメの注目するべきポイント

このあらすじだけを聞くと、ただのTSものだと思う人もいるかもしれない。(TSものであるかという議論はあるらしいが、ここでは特に議論しないでおく。)

 

しかし、最も注目するべきポイントは、妹になったはずのまひろが、みはりの面倒を見るシーンが出てくるところである。兄だった時は、本当に自分の部屋からもほとんど出てこなかったのに、だ。

 

このシーンをそのまま受け取ると、てぇてぇだけで、現実で生きている人たちには、何にも得られるものはないが、少し曲解しつつ学びを得ようと思う。

 

 

3.「荷物を下ろすことは、荷物を下ろすことではない」という学び

このシーンから感じ取ったことは、「荷物を下ろすことは、荷物を下ろすことではない」ということ、つまり、「役割を捨て去ることで、むしろその役割を果たすことができる」ということである。

 

 

具体例として、先に、”兄の育て方”の方から説明したいと思う。

自分も、兄だったからわかるが、兄は、我慢することが多い。別のアニメだが、「長男だから、我慢できた」というセリフがあるぐらいには、だ。

妹や弟が、欲しがったら我慢しないといけないし、不機嫌になったらご機嫌取りをしないといけないし、意地悪されてもムキになってやり返してはいけないのである。

程度の違いはあれども、このようなことはあると思う。ただ、先に生まれたという理由だけでだ。能力なんてものは、関係なくだ。

しかし、人間だから、キャパオーバーになり、SOSを出す(兄らしくない行動をする)こともあるが、その時、得てして親は、「お兄ちゃんなんだから、しっかりしなさい」と言ってしまうのだ。

よく考えて欲しいが、この世の中で誰一人として、兄として生まれた人はいない。妹や弟が生まれて、急に役割が与えられるのである。

そうである以上、少なくとも、時々には、兄のガス抜きをしてあげることが必要だと思う。遊ばせるといったことではなく、兄の役割から解放してあげるということが必要なのである。

その結果、兄らしくなくなってしまうと心配するかもしれないが、兄は、精神的に元気であれば、妹や弟を見たら、兄らしく振る舞おうとするものだと思う。このアニメのように。

 

 

次に、”弱者男性のケア”の方に行きたいと思う。

こっちも同様に、男性であるというだけで、性別とは関係ない、どちらかというと性格に関係するはずの”男らしさ”という役割が与えられる。しかし、その役割をうまくこなせていないのが、弱者男性の本質だと思う。

その解決法も同じで、”男らしさ”という役割から解放することが…と言いたいところだが、現実的ではない。周りの人の意識を変えていくという意志は、素晴らしいと思うが、具体的な解決策にはならないし、そういうことを言う人に感化されていても、宗教に入ったことと大して変わらない。

解決法は、”男らしさ”から解放される場を作る、例えば、仲の良い友達を作るといったことや、熱中できる趣味に没頭することしかないと思う。

それと同時に、自分自身は、自分自身に”男らしさ”を求めないようにすることが大事だと思う。アイデンティティが崩壊する恐怖に襲われるかもしれないが、前述の通り、無意識に”男らしい”とされている行動をとっているものだから、大丈夫である。

 

 

4.まとめ

・兄を育てるうえで、”お兄ちゃんらしさ”を求めないことが、本人にとってストレス無く、”お兄ちゃんらしく”なることができるかもしれない。

 

・弱者男性は、”男らしさ”から逃避できる場所を見つける、あるいは作ると生きやすいかもしれない。

 

以上のことは、兄や弱者男性に限った話だが、それは、自分が長男だからというだけで、女性や妹・弟にも、そのまま、適用できるのかもしれないが、決めつけは良くないので、言及はしないでおく。

 

 

 

拙文最後までお読みいただきありがとうございました。

『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』の『わんく!』に関する浅い考察

今期も色々なアニメが放送されているが、特にネットで酷評されているアニメで、たまたま見ていたアニメがあったので、少し考察を書いてみたいと思う。

(注意)ニコニコで見ているため、10話までしか見ていません。

 

1.『わんく!』とは?

『わんく!』とは、『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』の第8話『わんく!DANCING QUEEN』に出てくるアキバ革命軍の勝利を日本中に伝えるイベント。

 

イベントの中身から、類似の事象を探して、展開を予測するのは、難しそうなので、諦めた。コミケとかに近いのかもと思ったけれど、意識して名前を3文字にしたくらいで、今後の展開には繋がらなそう。

 

 

2.『わんく!』の名前の由来から探る

『わんく!』のようなイベントから予測するのは、無理そうなので、名前から攻めたいと思う。そこでたまたま、チェスが好きなので、たまたまある言葉が思いついた。

 

「ツークツワンク」である。

 

3.『わんく!』が「ツークツワンク」由来である根拠

まずは、ツークツワンクの説明からしたいと思う。

 

ツークツワンク(Zugzwang)とは、主にチェスにおいて相手から直接の狙いはないにもかかわらず、自ら状況が悪化する手を指さざるを得ない状況のことを言う。(出典:Wikipedia

ja.wikipedia.org

 

つまり、八方塞がりの状態である。これは、かなりアニメの状態と合っている。

アニメのスタート時点の三人の魔法少女を失った状態から、順調にうまく行ってはいるものの、正直、オタクたちの戦いの終わりが見えない。そんな中で、ストレスを発散するように、「好きなものを好きなだけ好きと言おう」というテーマのイベントを開催しようとするが、どう考えても、ショボン軍の餌食である。

結果、開催され、襲撃されたが、成功した。しかし、現実か夢か怪しい描写がされている。

 

3.この説から導かれるエンディング予想

おそらく、このままバッドエンド直行だと思われる。けれど、12話でこの『わんく!』まで遡って、『わんく!』を開催しなかった世界線に飛んで、ハッピーエンドみたいな展開になると思う。

まあ、当たらなそうだけど、10話まで見た感じでは、作中作であるという種明かしがあり、最後にどんでん返しがありそうだから、期待して見たい。

 

 

拙文最後までお読みいただきありがとうございました。

『岸辺露伴 ルーブルへ行く』に出てくる画家の元ネタを探してみた!

(注意)初めて、ブログを書いてみたので、多少おかしなところがあっても、許してください。

 

たまたま、『岸辺露伴は動かない』のドラマを見たことがあったので、映画も見たという程度だったけど、映画を見た時に、ふと画家の元ネタとなる人物を知っていたので、思い切って全部調べてみようと思ったっていうだけの話。ネタバレがあるので、気をつけて読んでください。

 

 

 

 

1.モーリス・ルグラン

まず、岸辺露伴がオークションで落札した黒い絵の著者である『モーリス・ルグラン』から説明したいと思う。

 

けれど、こっちは、かなり多くの人が気づいたと思うし、なんなら、最初っから、『モーリス・ルブラン』って聞き間違えた人も多いと思う。(自分だけだと思いたくないだけっていう説もある)

というのも、元ネタは、超有名小説家である『モーリス・ルブラン』だから。

 

って言っても、推理小説が好きな人や、海外の古典的名作に詳しい人じゃないと知らないかもしれないので、説明すると、あの有名な『アルセーヌ・ルパン』が出てくるシリーズの小説を書いていた小説家である。あの『ルパン三世』の元ネタにもなった、怪盗ルパンである。

 

これを聞いたら、『モーリス・ルグラン』が、絵画泥棒をしていたことに納得できたと思う。『ルグラン』は、もしかしたら、ルノワールの描いた『ルグラン嬢の肖像』から来ているかもしれないけれど、元ネタがあるというか、名前をもじっただけの方が、自然だと思う。

 

 

2.山村仁左右衛門

今回、この記事を書いた理由の99.99%は、この考察を書きたかったから。間違っていると言われても、記事を書くだけで気持ちいいのでOK!

少し人物の説明すると、『山村仁左右衛門』は、岸辺露伴が探していた、ルーブル美術館に所蔵される最も邪悪な「最も黒い絵」を描いた画家である。

 

まず、おそらくだけれども、『山村仁左右衛門』に似た名前の画家は、見つからないし、作家もいないと思われる。いたら、もう試合終了。安西先生じゃないけど。

 

そのうえで、おそらく、『山村〇〇』が描いた『〇〇仁左右衛門』だと思った。なぜって言われても、わからない。そうすると見つかったのである。

 

山村耕花の作品の『梨園の華 十一世片岡仁左衛門柿右衛門』と『十一代目片岡仁左衛門の大星由良乃助』である。

おそらく前者だと思う。というのも、キャラクター名の方が、『仁左右衛門』となっているからである。『仁左衛門』+『右衛門』=『仁左右衛門』というわけである。

Wikipediaによると、どうやら、その作品は、町田市立国際版画美術館にあるらしいので、熱心なファンの方々は、一度見に行っても損はないかもしれない。

 

3.結論

・『モーリス・ルグラン』の元ネタは、『アルセーヌ・ルパンシリーズ』を書いた『モーリス・ルブラン

 

・『山村仁左右衛門』の元ネタは、『山村耕花』の作品『梨園の華 十一世片岡仁左衛門柿右衛門

 

…と思われる。

 

 

拙文最後までお読みいただきありがとうございました。